日記

■2004年06月24日(木)12:51  [最近読んだもの]
古本屋で「鉄道員(ぽっぽや)」を見付けたので買ってみました。

前にも何度か読んでいます。
その時はハードカバーでした。
今持っているのは文庫本だけど、内容はどちらも変わりません(笑)。
「鉄道員」は短編集になっています。
僕が特に好きなのは、2話目の「ラブ・レター」です。

この話を読み始めて9ページ目。
このページを何度か読み返します。
ここには、手紙の内容が書いてあります。

さらに読み進めると、最後にまた別の手紙が出てきます。
手紙の最後は「再見。さよなら」

「ラブ・レター」は35ページで終わる話。
この35ページが特に良いなーと思います。


浅田次郎に、はめられました。
野坂昭如にやられる事も・・・

■2004年06月21日(月)12:58  [お疲れ様でした]
今度秋田に帰ったら、練習お願いします。
楽しみです。
多分、みんな雰囲気が変わってると思うんですよね。

秋田に帰って、いつもの人達といつもの様にスパーすると
なんだかちょっと違ってる感じがします。
段々戦い方が変わって来ていると感じます。
自分自身で気が付いてないかもしれませんが。

今度またスパーするのがとても楽しみです。

ところで、大関チャレンジしました?
カツ丼大盛り
コメント
  • 坂田(2004/06/22 22:48)
    自分は何にも変わってないです、と思う。斎藤さん、傳さん、岩淵さんに逢うと初心に戻ります。あそこがスタートだったって。
  • saito(2004/06/23 13:09)
    いつか又、一緒に練習しましょう。きっと変わっていると思いますよ。

■2004年06月16日(水)  [BAD BOYs AND A GIRL WITH 大場さん]
試合は
自分が勝てば、相手は負けます。
相手が勝てば、自分は負けます。

勝てば、嬉しいし
負ければ、悔しい

負けは、苦しさが長く続くのと一緒に、もっと頑張る気持ちを生み出すのかもしれません。
「負けた気持ち」に負けないで諦めない事が大切かも。

勝っても
負けても
勝負だけじゃなく、人それぞれ違った何かを得るかも知れません。

例えば今朝の大谷さんからのメールでは
「対戦相手が強そうな人なので燃えている」みたいな気持ちが伝わって来ました。
試合はしないけど、僕自身も何か動かされるものが有ります。
「頑張って欲しい」

試合は勝つ為にします。
そして負けが有るから良いのかも。
勝者にも、敗者にも、お互いに得るものが有ると思います。

試合をしてくれる対戦者や、試合を企画運営して下さる方々に感謝。
試合の始めと終わりの握手や礼は、とても大切なんじゃないかなーと思うのでした。
コメント
  • 大谷(2004/06/17 12:47)
    會舘の皆さんからのメールで燃えてきました。
  • saito(2004/06/18 12:46)
    自分も燃えてきました。サポーターとしてですけど。

■2004年06月10日(木)  [眼鏡屋さんに行って来ました]
買うメガネは、広告を見て既に決めていた。
フルセット5000円で、レミーボンヤスキーが掛けてるみたいなヤツ。

決めてはいたけど一応、店内を見て回りたかった。
しかし店に入ると、店員さんが直ぐに僕をマーク。

仕方なく店員さんに目をやると、眼鏡を掛けたモト冬樹がそこにいた。
「まあいっか」と思って、ちょっと無視して店内を少し見回してから「5000円のはどれですか?」って訊いた。
するとモト冬樹は「これです」としゃがれた声で、ちょっと面倒くさそうに指差した。

あれ?この人は・・・

外見はモト冬樹で、喋り方や態度は世良正則だった。
横柄で威圧的なモト冬樹は、僕の視力にイチャモンを付け始めた。
「良くこんな視力で生活してたね」
フッ面白い人だ。

去年の視力は、右が0.6、左が0.4だった。
今は、右が0.4、左が0.05になっていた。
ついでに乱視も両目に出た。
ガッカリだ。

モト冬樹は、世良正則の声と態度で
「土曜には出来てるから、土曜の午後に取りに来てね」とちょっとドスを効かせた感じで言った。
僕は癖で「有難うございまーす」と言って店を出た。
モト冬樹は軽く会釈。

うーん
まあいっか

■2004年06月05日(土)13:10  [退院後の事]
当時は、耳鳴りが酷かった。
「キーンキーン」とか
「ピュアピュアピュア」とか
どこかから電波を受信してるみたいだった。
ほとんど一日中鳴っていたので、人の話を聞き取れなかった。

そのとき読んでいた小学生向けの小説のストーリーで、自分は宇宙人に作られたロボットだったって話が有った。
そのロボットは、自分がロボットだって気付いていない。
人間だと思い込んでいた。
毎日、無意識に地球の情報を宇宙人に送っていた。
小学生の僕は、とても単純だったので自分も本当はロボットに違いないと思っていた。
「宇宙人いつ来るのかなー」とか思っていた。
テレビのUFO特集が大好きだった。
矢追純一の大ファンだった。
関係無いけど、ノストラダムスの特集も好きだった。

耳鳴りだけじゃなく、耳から血の塊がボロっと出てきていた。
毎日、単二の乾電池ほどの量が出ていた。
一回に出る量が単四の乾電池ほどだったと思う。
僕は、それが面白かった。
「今日は、こんなに出た」とか言って。

つくづくバカな小学生だった・・・
両親も大変だったろうなーと思う。

脳障害については、自分では自覚できていない。
結局大丈夫だったって事だと思う。

「事故後、人格が変わった」と両親は二人揃って言う。
どんな風に変わったかは説明できないけど、なんとなく変わったそうだ。

人の性格を変える手術がある。
前頭葉の、ある一部を切ると発作的に暴力衝動を起こす患者の性格が大人しくなるそうだ。
ロボトミーと言う手術で、今はほとんど行われていない。
これに代わる精神薬が出来たからだそうだ。

これと同じ様な事が起こったかも知れない。
でも、日常生活で困る事は何一つ無い。
ただ、この物覚えの悪さをノーショーガイの所為にしたいと思う。
あの時の先生に相談したい。

■2004年06月02日(水)13:17  [病院での事]
入院生活は、快適だった。
体中どこにも痛い所が無かった。
点滴の針を刺す時は、大暴れして3人がかりで押さえ付けられたけど。

3時には、おやつが出るし、散歩とか言って屋上に行くのも結構楽しかった。
隣のベットでは、僕よりちょっと年上の子が超合金を4〜5体持っていたので
子供の僕は「貸して」とか言ってずうずうしく、すぐに友達になった。
「1個上げるよ」って言ってくれたけど、僕の親が丁重にお断りした。
僕は猛烈に怒った。
「替わりに何を買ってくれるんだ!」って言ったら数段激しい怒りを買ってしまった。
あまりにも悔しくて、大声で泣きわめいた。
この頃の自分に返って「お前、そりゃねーよ」って言ってやりたい。

そんなこんなで退院する事になり、医者が僕に話が有ると言った。
重苦しい雰囲気を感じ取ったので、何か怒られるに違いないと思った。

「これから退院だけど、君の右耳はもう一生治らないからね」と言った。
この頃は、右耳がほとんど聞こえなかった。
今は、結構聞こえるけど。
事故で、右耳の前の頭蓋骨にヒビが入ったから。

「これから脳障害が出ると思う、もし何かあったら先生が協力するから」
ぼくは「ノーショーガイって何?」って訊いた。
先生は両親の顔を見てから、もう一度僕の顔を見て
「とにかく何か有ったら又来てね、頑張ってね」と言った。
何か重要な事らしかったけど、話が終わったので怒られなくて良かったと思った。

手を振って退院した
「先生バイバーイ」
親が僕の頭を押さえて、強引にお辞儀をさせた。

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