日記

■2004年8月24日(火)13:40  [東京に戻る日の朝]
綺麗に晴れた空に、薄くふんわりした雲が広がっていた。
そこに飛行機が二機、同じ方向へ飛んで行く。
二機のうち、一機は細く長い飛行機雲を伸ばしながら北へ向かう。

この光景を
「気持ち良い」と言えばいいのか
「綺麗だ」と言えばいいのか

二機は、平行線を保ち
地平から約15度の角度で上に向かって飛んで行く

子供の頃は、飛行機が好きだった。
一直線に飛んで行く姿がキレイで好きだった。
小学生の頃
新秋田空港が出来た時
空港や飛行機の新聞記事を集めて、スクラップブックを作った。
学校に持って行って、毎日自慢していたら
それを300円で売ってくれってヤツが現れた。
当時の僕にとって300円は物凄い大金だったので、気が変わられる前に直ぐに売った。
そんなに上手くまとまった物じゃなかったと思う。

初めて飛行機に乗って、雲の上に出た時
別世界に来てしまったと思った。
雲の絨毯が、辺り一面真っ白に輝いていた。
「なんて綺麗なんだ」と思った。

あの二機は、これから雲の上に行く。

■2004年08月17日(火)  [鍼灸の授業として]
解剖実習をさせていただきました。

6体の御遺体があって
それぞれ見せていただきました。

最初は、むやみに触ってはイケナイと思って遠慮していましたが、段々よく見たくなって
メスを使ったりして血管や神経の走行や太さ、筋肉の厚みや重なり、内臓の生理や病理をよく見る事ができました。
本物の御遺体なので、本や模型で見るのとは全く違う『実感』が自分の中に残ります。

脳も見ることができました。
養老猛氏は「心は脳が生み出す」と言っています。(彼は一元論者)
それ程までに重要なもの
この脳に個人としての、今まで生きて来られた経験がすべて記憶され
この人の行動や感情や思考を形作っていたのだと思いました。

献体して下さった方々に、心から感謝します。
この経験から、きっと良い鍼灸師になりたいと思います。

【※】
御遺体は、高齢者の方々でした。
実習後に帰る道々、高齢者の方々が生きて動いているのが何故か心に染みて来ました。

歩き難そうにしていたり
楽しそうにしていたり

生きてるってこういう事なんだーと思いました。

【※】
大学の先生達は、ほとんどが医学博士です。
ある先生ががこんな事を言っていました。

どうして生きているんだろう?
生きている意味は?
この世界が存在する理由は?

こう言ったら、いぶかしく思う人が多いに違いないですね。
しかし、科学の先端はそれを研究しています。

生命の謎は、課題のひとつです。

科学的ではないかも知れませんけど
追求すればする程、生命は不思議です。
神様を信じたくもなります。

宇宙飛行士の人達も、そんなことを言う事がありますね。

【※】
文章にしてみると
改めて、責任の重さやありがたさを感じます。

本当にありがとうございました。

■2004年8月14日(土)13:38  [アテネ五輪]
僕はやっぱり
柔道とレスリングに惹かれる。

浜口京子がどんな戦いを見せてくれるのか?
谷亮子は勝ち上がれるのか?

一試合ごとに気持ちが入りそうです。

【※】
そしてプライド
小川直也!!

■2004年8月14日(土)13:32  [こんな大学です]
人間総合科学大学は、埼玉県の蓮田駅から歩いて15分の所、ちょっと郊外に建っている。
僕は、この環境を気に入っている。

駅の周辺は、一応開けているけど、ちょっと歩くと畑があったり、林があったりする。

高い建物が無く、少し顔を上げると、あたり一面が空だ。
夏雲が浮いている。

それにしても暑いな
熱気が地面から来る
天気予報では、埼玉県36℃だったかな?

大学まで来ると
「あれ?これ大学?」って言う位小さい建物がある。
教室は6個ほど、生徒は、70人〜200人位集まる。
4階の窓から、雲が無ければ富士山が見える。
僕は、見たこと無い。

【※】
環境はいいんだけど1科目15時限の授業を3日で終わらすのはどーなんだ?
3日ごとにテストするから気が抜けないよ。

1日が終わるとフラフラになる。
先生達は、「これだけは知ってて」なんて熱い気持ちを3日間ぶつけて来る。
「これだけは・・・」が1050分。
「本当は、もっとお伝えしたいんですけど」

凄いよ先生達・・・

授業は、毎回とっても面白いです。
でもフラフラっす。
寝ちゃってる人もやっぱりいる。

「人間って何だ?」がテーマの大学。
僕は気に入っている。

■2004年08月13日(金)  [猛暑に涼風を 3]
昔、僕の家の仏壇は、箪笥の上に位牌や線香立て等の仏具セットが置いてあるものだった。

そこに、お釈迦様だろうか、縦30cm、横15cm程の小さな掛け軸があった。
お釈迦様の背後には、丸くグラデーションの後光が描かれていた。

お盆の頃、僕は夕飯ができるまで弟と遊んでいた。
フッと思って掛け軸を見たら、後光のグラデーションの一部がフワフワ動いていた。

変だなー
ずーっと見ててもまだ動く
変だ

弟を呼んで見てもらった。
「動いてるよ、動いてる」

今度は、母を呼んで見てもらった。
「あー動いてるねー」
「お盆だから誰か来てくれたんだね」

そう言われたからか
僕は特に怖いって思わなかった。

【※】
当時母は、ああ言って子供をあしらっただけだったろうか?
この間、訊いてみたら
「そんなの知らない」って言っていた。

気のせいかなー

■2004年08月11日(水)13:23  [猛暑に涼風を 2]
子供の頃
僕の家は、ボンボン時計だった。
1時に1回、ボーン
2時には、2回ボーンボーン
12時には、12回鳴る。
その他に毎時間30分に1回、ボーンと鳴る。
今、思うと凄いうるさかったかな?
当時は、こんなもんだと思っていたけど。

僕のお父さんは、朝4時から神棚に祝詞(のりと)を上げ、仏壇にお経を唱える人だ。

その日僕は、まだ暗い内に目が覚めた。
少しすると、時計が1回鳴った。
ボーン。

「あー何時かの30分だなぁ」と思っていた。
もうちょっと寝れると思っていたけど、なかなか寝付けなかった。

すると、仏壇から鐘の音が「チーンチーン」と2回。

お父さんが起きて来たから4時近いんだと思った。
でも人の気配が無い。
歩く音や、水を流す音が聞こえる筈だった。

よく考えると何か違う・・・

いつもは神棚が先で、仏壇はその後の筈だ。
仏壇の鐘も『必ず』3回鳴らす。
「そうするものだ」って言われてたし、そうしなければ凄い怒られた。

何か違う

ボーン
時計が1回鳴った。

何時かの30分なのか?
1時なのか?
さっきも1回しか鳴らなかった。
「いまなんじ?」
早く寝たい、早く寝たい、早く寝たい、早く寝たい

いつの間にか寝ていたらしく、目が覚めたら明るくなっていた。

小学3年頃の話。

■2004年8月6日(金)13:14  [猛暑に涼風を]
3歳の時だった

僕は,居間でテレビを見ていた筈だったのに・・・

気が付くと、布団の中だった。
(寝ちゃったから布団に入れられただけ)

目が覚めると、居間にお父さん、お母さん、兄さん、多分弟も居るだろうというのが分かった。

僕は、お母さんを何度も呼んだけど、気付いて貰えなかった。
今度は兄さんを呼んだけど、やっぱり気付いて貰えない。
この時、お父さんは、怒ると思ったので呼ばなかった。

誰にも気付いて貰えないので、3歳児の僕は、嘘泣きして誰か来るのを待った。
でも誰も来てくれなかった。

本当に悲しくなって、本当に泣いた。

すると、何故か泣いてる自分が見えた。
「泣いてる」って思った。

泣いてる自分を見ながら
「何で泣いてるんだろう」
「泣き止まなきゃ」と思った。

でも自分の体は、どんどん上に昇っていく。

蛍光灯の傘の所まで来た所で
「帰れなくなるなー」と思った。

でも、このまま行ったらどこに行くのか興味があった。

その時、襖が開いてお母さんが入って来た。
「何泣いてんの?」

僕は、「あー帰って泣き止まなきゃ」と思って、急いで自分の体に戻って泣き止んだ。

その後またすぐ寝た。
コメント
  • saito(2004/08/13 09:21)
    あの時僕は「自分はこの世界で必要ないんだ、このまま行けばどこか別の場所に行ける」と思っていた。襖が開いたから戻ったけど(夢だと思うけど)。発達心理学の中では『1〜3歳位の子供は自分がこの世界で必要とされているかどうかの確認を絶えずし続けて、安心を得ようとしている』という研究報告が有る。他に、『寝入り端に赤ちゃんが泣くのは、覚醒した自分の意識が遠退くと、もう一度この世界に戻って来れるか分からなくて怖いから』だそうだ。「本当かー」とも思う。赤ちゃんは喋れないし確認できないんじゃないかな?。しかしこの研究は、フロイト以後多くに人からされている。

■2004年08月02日(月)16:18  [恐いぞ心理学!!]
心理学の恐さは、自分が意識してなかった(若しくは、無意識下に押しやった)自分を
わざわざ掘り起こして改めて目の前に付き付けてくる所だ。

折角、自分の嫌いな部分を見えない(感じない)様に心の奥深い所に隠して置いて
ようやく忘れて安心してたところなのに・・・

無意識は、普段感じる事は無いけど確実に自分の中に有って
逃れられず、自分の行動や感情を決定付ける。

無意識下に押しやった自分を見る(感じる)のが恐い・・・
嫌いな自分が、確かにそこに息づいて生きているからだ。
無意識の自分を見る(感じる)と自分を変化させない訳には行かない衝動に駆られる。

【※】
誰にでも生理的に、同じ様な弱さが有る。
ただそれを知るだけでいい(内的な強さを得られるし、対処もしやすい)。

無理に自分を変えなくても、その弱さが人間らしくて良い印象を与える場合も多い。

変に強がると、悪い印象を持たれる場合も多い。
しかしその反面、「強がり」そのものに弱さを見て、人間らしさを感じるかもしれない。

【※】
無意識に人は弱いものだと知っているから、頑張る人を応援したくなるのかも。

格闘技は、恐怖を感じながら戦う(生きる)その最たるものかもしれない。
だから、格闘技から得られる感動も大きいのかもしれない。

同じ戦うでも戦争は、その目的が「恐怖に耐えて生きる」より「命を奪う」に有るから感動なんて無い。
その根底に「生きる」事が無くてはならない。

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